3.伊豆半島の歴史の話

皆さんは静岡県に位置する伊豆半島を御存知かと思います。この伊豆半島ですが、東京等の関東圏からも近く、また熱海等の観光地も多いということから、私達日本人にもすっかり御馴染みの地域でもあるとも言えます。こうした背景もあって、東京方面からの観光客を始めとして、日本全国各地から訪れるたくさんの観光客で伊豆半島は大変にぎわっています。ここではそんな伊豆半島について触れていきたいと思います。
皆さんは伊豆半島の歴史を御存知でしょうか。まずはそんな伊豆半島の歴史の話から進めていきたいと思います。伊豆半島は明治維新後の廃藩置県以前は「伊豆国」と呼ばれていたことは皆さんも御存知かと思います。勿論それ以前から伊豆半島には長い歴史が有ります。
ところで静岡県の東部に出っ張ったように位置する伊豆半島ですが、この伊豆半島は何時ごろ形成されたのでしょうか。伊豆半島の形成は約100万年前のことだと言われています。このときフィリピン海プレートに乗って北上を続けた島が日本の本州南岸に達して衝突を始め、そうして伊豆半島が形成されたのです。伊豆半島はもともとは島だったのです。ちなみにこの運動は現世においても継続中です。
そして先にも取り上げた伊豆国ですが、次は伊豆半島の歴史として伊豆国の成立について見ていきます。
日本古代の所謂律令制において、伊豆国は東海道に属する一国でした。伊豆国が誕生したのは680年で、隣の駿河国より分離されて設置されました。駿河国とは現在の静岡県中央部に当たります。ちなみに都のあった京都や奈良等の畿内地方から遠い伊豆国は、律令時代には流刑の地とされていました。
伊豆国の国府は三島に置かれていました。それ以来、伊豆国の国府所在地たる三島は、伊豆国一宮・三島大社の門前町ともなっています。また伊豆国の範囲としては、伊豆半島だけでなく沖合いの伊豆諸島も含まれています。
以上が伊豆半島の古代の歴史です。次に伊豆半島の中世および近世の歴史について見て行きます。12世紀末は皆さんも御存知のように源平合戦の時代です。このとき平治の乱で敗れた源氏の源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島へ流刑となりました。頼朝は後の平氏打倒の兵を挙げますが、このときは伊豆国の三島大社で必勝祈願を行っています。
後に源頼朝は平氏を破って鎌倉幕府を建てます。その鎌倉時代には幕府の執権である北条氏の本拠地でもあったことから、監視すべき重要(危険)人物の流刑地に伊豆半島はなっていました。この時代伊豆半島は変わらず流刑の地であったのです。例えば1203年には頼朝の子であった二代将軍源頼家が修善寺に幽閉されています。この頼家は翌年暗殺されます。そして1261年、鎌倉幕府に批判的だった日蓮宗開祖・日蓮が同じく鎌倉幕府により伊豆半島に流刑に処されています。なおこのとき日蓮は上陸直前に海上の岩に置き去りにされ、危うく助かったという日蓮法難伝説の一つが有ります。伊豆半島は幕府の目の行き届く格好の流刑地であったと言えます。
時代が下って江戸時代には、伊豆半島の韮山に韮山代官所が置かれていました。
伊豆半島の中世の歴史について簡単に振り返ったところで、ここからは伊豆半島の近代以降の歴史を紹介します。
明治維新期の廃藩置県は、元の伊豆国には当初は韮山県が成立していました。ところがその後足柄県に編入され、1876年8月21日に足柄県が分割された際には今度は静岡県に編入され、以後は伊豆半島は静岡県の一部となっています。

1934年に難所を穿つ丹那トンネルが開通し、東海道本線が熱海・三島経由のルートに変更されます。そして高度経済成長期には東海道新幹線が開通し、伊豆半島の部分には新幹線の熱海駅と三島駅が設置されます。

2014/10/16 更新